モノを増やさない生活。まずは「足りる」という考え方から。

モノを増やすと安心を得られるかもしれないけど、幸せは得られないと思う。
そもそもそんなに安心がほしいほど不安だったっけ?
モノがあるから幸せ?あれ?そうだっけ?

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足るを知る

これは本当に名言だと思う。今まで私もモノを買ってばかりいた。大抵は半額とか安売りで買ってしまっていた。
欲しいモノが半額になっている。半額の今買えば、欲しいモノに満たされて、さらに半額で買えた「オトク感」も得られるぞ。
結局使わなくなる。理由の1つは「半額で買ったから」だ。本当に必要なもので今すぐにでもほしいモノは、お金の価値を考えなくても買うものだろう。そうでもなく半額で買ったものに永遠の愛着があるわけない。まあ、例外はあるけどね。
そもそも足りていたモノだ。なくても良い。でもそれを知るというのはなかなか難しい。人には欲があって、捨てられないからね。
なので私は「多分、足りてる。」と自分を勘違いさせている。当然、これだと足るを知るには及ばない。そこで次の言葉を口にする。
「なんで買う必要があるんだっけ?」
この問に対する答えは実にくだらない。「便利だと思ったから」「今使っているものよりカッコイイから」
一切「必要」という言葉が出てこない。笑えるね。ついでに言うと「便利だと思う」は生活に一切工夫をしない怠けたアタマがそう思っていて、「カッコイイ」はカッコよくなりたい自分の願望がそう思わせている。
つまりこれらを切り捨てればモノは増えなくなる。「お前は馬鹿か?そうやっていくらゴミにお金を使った?」「捨ててないからゴミじゃない?そうかお前は馬鹿だ。ゴミを買ってるじゃないか。」
そう、使わなければそれはゴミだ。モノに頼ってはいけない。頼るべきはアタマだ。足るを知るために勘違いさせてしまえ。増やさないことに慣れるために。

「貧しい」とは満たされていないことだ

よくミニマリストという言葉を聞く。私は無理なく無駄なくシンプルに暮らす素敵な人のことだと思っている。故にモノに囲まれていない生活に憧れる。
モノに囲まれていない人は「モノに対する欲求」が少なく、考え方もシンプル。だから時間を大切に上手に使っていて、雑念が少ないから比較的穏やかな方が多いのではないかと思う。
一方でミニマリストのことを貧乏だ、と見なす人もいる。そんな「モノがない」生活なんてありえない。欲しいモノがいっぱいあるのに。ミニマリストになんてなりたくない、と。
残念ながら間違っている。ミニマリストは「必要なモノを持っている」のだ。そして不要なものを持つことをやめた。だから足りている。お金がないから持てないのではなく、お金があっても持たない。
すべての人がお金持ちかといえばそうではない。でもミニマリストは足りている。それなりにお金を持っている人でも足りないと考える人は多い。そんな人はいつまでたっても足りないし満たされない。お金があるのに貧しい。考えにくいけどそういうことだ。

プラスを作り出すものを持つ

ミニマリストの中には「お金も必要な分だけでいい」という考え方の人もいる。ミニマルライフコストで充分だと。
確かに満たされているから不要な人もいるかもしれないが、それは人それぞれだ。でも今回は「モノを増やさないこと」を目指す。お金は持ってていい。むしろお金を有効に使って無駄をなくすことを考えてみるのだ。必要な範囲で。
毎日使うものについて考えてみよう。起きて食べて働いて学んで遊んで寝る。細かく見たらもっとあるけど、大まかにはこの5つだろう。
これらをより良いものにできる、してくれる、そんなモノだけを身の回りに置いておく。そうすればモノは増えない。
よく眠れる布団。使いやすい・洗いやすい食器に調理器具・仕事が捗るツール・どこでも勉強できる電子書籍・・・
そういった優れた日用品だけで生活してみる。心地よさを感じるはずだ。心地よさをくれたモノたちに感謝の気持ちが湧いてくる。感謝できるものだけを置いておこう。これまで使ってきたものと、使わないものは「ありがとう」と声をかけて手放そう。
肝心なのは「足るを知る」こと。心地よさの追求だけでは満たされない生活が待っている。モノに感謝ができたら、それは「足りている」ことなんだと思う。
じゃあたくさんのモノを持っていて、未だにすべての持ち物に感謝できる場合はどうしようか。そんなときは毎日使わないモノをいったん箱に入れておこう。「さよなら候補」として。目につかなくなるとそのうちに存在を忘れる時が来る。感謝できても使わないモノだったことに気がつくはずだ。
そしてそれをありがとうの一言を添えて手放す。彼らも喜んで出て行ってくれる。部屋は綺麗になって、それでも足りていることを実感できる。足りてるから、増やさない。
同様に普段使わなくなってホコリをかぶっているものを「さよなら候補」にする。時間を置いて存在を忘れる。そして手放す。購入時の金額など考えなくて良い。ホコリを被った時点で減価償却できたと考えよう。使わなければゴミ。
手放す時にありがとうが言えれば大丈夫。

おわりに

生きていればいつかは死ぬ時が来る。モノがあってもなくてもその日は来る。モノがあることの幸せを感じるならそれでいいし、モノがあっても幸せじゃないなら手放せばいい。でもどちらにしても「モノのために生きている」わけではない。そんなことを思いながら過ごしてみたら、いろいろと感じるところもあるんじゃないかな。
本当は足りているのに、気がついていないだけ。
本日は以上です。
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