無いことの美しさ。私も大人になったなー。

いろいろ考えています。
無い方がステキなこと。
無い方が美しいこと。

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香り

私は結構臭いに敏感。だから電車とかバスとか、満員のときとかは臭いにやられます。
車内ではいろんな臭いがします。体臭もあればそれを隠すためか香水の強い臭いもあり、食べ物の臭いもします。
どれも素敵ではないです。もし素敵だと思うことがあるなら、それは「無臭」です。
臭くない。これが美。香水ももともとは自然な成分かもしれませんが、それは自然が放つ香りだからいい匂い。
人が纏ったからといって素敵ではない。
体臭は仕方ないわけではなく、消すことが美しい。臭う人は自分で感じないのが信じられないけど、そして人間が放つから自然ではあるけれど、いい香りではない。
それを香水で隠す場合は尚美しくない。不快に思います。でも無臭は絶対不快にはなりません。臭いがないんですからね。素敵だと思います。

雑音

これは無い方がいいでしょう。たとえばヘッドホンで音楽を聴いているときに入ってくる雑音。無線の不調だったり混戦だったり、外から入る音もそうです。
そして寝るときに入ってくる、人がたてるすべての音は雑音となります。ところが秋の虫の鳴き声はステキに感じます。不思議です。
自然の音はなぜか雑音にならない。まあ、セミが間近で鳴いていたら雑音ですが。

余計なもの

私の部屋にもあったりする「余計なもの」。これは不快です。モノって役割があります。
形から何かを想像してしまう。たとえば無造作にハサミが置かれていたら「何を切ったのかな?」とか、「このハサミって紙以外に何か切れるのかな?」とか、「あ、刃物!」とか余計な想像が生まれます。
落ち着かないですよね。書類がきちんと整理されていても、私なんかは目に入ると邪魔に思います。少なくとも食卓とその周りは何も無い方が美しいと思います。

有り余る食材

食べることは生きるのに必要なこと。でも食材を余らすのは完全に不要で美しいとは言えません。
傷んじゃうから食べなきゃ、となってもそんなにたくさんは食べられません。お腹いっぱいになることが幸せの基準では無いと思います。
だから食材は必要なときに必要な分だけ買うのが望ましい。そうすれば余らないし有ることを忘れたりしません。

広い家

新居となってから賃貸のときよりかなり広くなりました。でも結局掃除が大変だったり、モノを取りに行くのが億劫になりました。
3人が住むには大きすぎたと思っています。友達も多くないのでパーティーなんてしません。身の丈には合っているはずですが、以外に広かった。
収納が多いことも理由にあります。家を建てるなら収納が重要になります。そんなにモノは持っていなかったので、収納が余っています。
これはこれでいいのですが、モノを増やさないで暮らしたいのにモノをしまうためのスペースが余るとは。

高級すぎるモノ

身の丈に合わせた暮らしをしているので、高級品は持っていません。もし持っていたら、すごくストレスに感じているんだろうなと思います。
高級品だとモノが力を持ってしまいます。「これは高かったから」という理由で捨てられなかったり、別に使いたいわけでもないのに「使わないともったいない」という気分になります。
「もったいない」という意識はステキですが、モノのためにこちらが動く、動かされるとしたら、時間や労力がモノに費やされます。これこそもったいない。もっと自由に使えたかもしれないのに。

いろいろあった

私が思う「無い方がステキ」なものはそんなところです。結構ありました。ミニマルな暮らしに憧れるせいもあって、「必要なモノ」が少しずつ見えてきたんだと思います。
たぶん時間を増すごとに「無い方が良い」と思うモノは増えると思います。今はまだわかりませんが、それがきっと「幸せに生きる」ことにつながると思います。
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