ひとりごと
こんにちは。超面倒くさがりのTAKUです。
今日はダラダラと日記を書きます。ウイスキー飲みながら書いてます。暇な方にしか価値はないかもしれません。
効率化ってこのブログでもかなり重要視してるんですが、案外意味ないかも、なんて感じたんです。
シンプルライフを目指していらない物を手放したり、QOLが高くなることを探したりしています。その追求は私には楽しいですし、そこには必ず効率化という要素が付いてきます。
でも、なんかちがうと感じたんですよ。たまたまなんですが、妻に「悪いんだけど立ったついでに水をグラス1杯持ってきて」と言われました。
同じリビングに座る妻。立った俺。しょうがない、ついでに持ってくるか、と思い行動開始するわけですが、そこで「キッチンに向かう前にここにあるゴミも持っていく!効率的だよ」と言われました。
たしかにね、効率的かもしれないんだ、それ。
でもね、おれが立った理由は別にあって、目的は違うのよ。それ、後でよくない?
さらに細かく言えば、呼び止められたことによってすべての目的に時間ロスが生まれてるわけです。
些細な、全く持って些細なことですが、心地悪い。俺がスムースに心地良く行動を終えることが大事なのよ。
そう、シンプルライフとは効率化でもミニマル化でもなく、『心地良さ』の追求なんじゃないかって思ったわけです。
誰だって体調悪かったり疲れていたりして諸々のパフォーマンスが激落ちしてしまう時期があると思います。
そんなときでも心地良く過ごせるのが家であり、生活であってほしい。
もちろん、低パフォーマンス時の様々な効率化はきっと心地良さにつながります。ただ大切なのは、「自発的に行動して、その結果心地良い」のであればそれが一番なんじゃないかなと。心地良くて機嫌よく過ごせるなら、時間すらどうでもいいんじゃないか、なんて思ったわけです。
なので、ミニマル化して心地良ければそれでいいし、効率化して心地良ければそれもいい。私は心地良いと思ったらモノを増やすことも始めたくらいです。
まあ、ゴミとなってしまうモノはもちろん手放しますが。
心地悪くてイライラしてしまうのはとても愚か。疲れているなら尚更、心地良さを追求しませんか。
あ、でも世の中にあふれる「心地良く聞こえる言葉」にはたいてい罠が仕掛けられているので注意しましょう。ウソが多いです。