くらべる楽しさとくらべない楽しさ

人生くらべる連続だ。
でもくらべない生き方もある。
それはそれで楽しい。

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たぶん最初はくらべる

「くらべない」から始まる人生はないと思います。私はあえてくらべない人生にシフトさせているだけです。
「あのく車のほうがカッコイイな」「あの子のほうがかわいいな」「このおうちはうちよりお金持ちだな」とか、誰でも思うはず。
でもくらべたところで手に入らないモノもあるし、くらべないから消耗しないという良さもあります。
「くらべる」に消耗しすぎてはいませんか?それは良くないと思うんですよ。

くらべて楽しいならよし

かく言う私もくらべるのをやめたわけではありません。くらべるときはトコトンです。
例えばフライパン。超がつくほど高級なものを試したことはないですが、これまでにそこそこの種類を使ってきました。
ガス火ならイケアのフライパンが安いうえに圧倒的に使いやすいし、IHなら迷わずT-falを選ぶと思います。
我が家では最近はなにかとフライパンで調理を済ませる傾向にあるので、少し高くてもT-falを選びます。調理から洗ってしまうまでがストレスなくできるからです。
私だけなら中華鍋が絶対王者なんですけどね。普段料理をしてくれるのは妻なので。
こういう「くらべる」は必ずモノの「良さ」を見つけるものなので楽しいです。
他人とくらべる、というのは単なる消耗。人生で言えば浪費です。くらべないほうが良いと思います。くらべて即座に差が解消するなら別ですが、私はくらべないようにしています。

くらべない楽しさ

つまり他人とくらべるのは「私のほうが幸せだ」と思いながらも他人を羨んでいることの表れだと思います。それか自分より人を見下して楽しんでいるだけ。
世の中は常に一定ではありません。価値観なんて一瞬で変わる時もあります。
たとえば大規模な災害。いいモノや資産を持っていてもそうでなくても、被災すれば必ず何かを失う。
たとえば何かの大暴落。株やFXで儲けたとしても、それ以上に失うリスクもある。
お金やモノだけに価値を見出すと、失ったときに苦痛がやってくる気がしてなりません。
だったらそんなものさしで他人とくらべるなんてことはせずに、自分の中だけでくらべる程度がいい。くらべないで済むならくらべないほうがいいと思います。
私はくらべる行為を少なくしました。他のお宅が豪勢な食卓を囲っているのをテレビで見ても、さほど羨ましくはなくなりました。食べるのが好きな人間なのに、です。
そんなシーンを見ながらでも、オリーブオイルとめんつゆの組み合わせは美味い、ごまがあれば尚良いよね、と考えています。
オリーブオイルとめんつゆが手に入らなくなったらとても辛いです。値上がりしても辛いかもしれない。でも他人の食卓なんぞどうだっていい。私の目の前にある食材と料理と作った人に感謝するだけです。
それが美味しかったら尚良し、です。

人それぞれ。くらべたきゃくらべればいい。

結局のところ価値観は皆違うものなのでそれでいいと思います。でもそこに勝ち負けなんてない。
もし勝ち負けを持ってくるなら、「どれだけ穏やかに過ごせたか」で決めたいと思います。おチビと過ごしていると、尚更思うところがあります。
くらべるのが楽しいならそれが性分でしょうからそうすれば良い。それで穏やかなら尚良し、です。
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